「歌声喫茶」のころ
─帰りたい場所“昭和”を鳴らした歌─
横山太郎
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人々が集い、時を忘れてともに歌った「歌声喫茶」。
そこで流れていた歌の数々は今でも口ずさめる。
コーラスという希望――。
「歌声喫茶」を振り返ることは 懐古だけではない
最近「歌声喫茶」が甦ってきているといわれる。新宿の歌声喫茶が再び人気をとり戻したと聞くばかりでなく朝日新聞、読売新聞などの日刊紙やNHK-TVが特集を組んだり、大手旅行会社が母体となって発足したクラブツーリズム
の「うたごえ」イベントが多くの参加者を集めて成功したり、あるいは私自身もスタッフの一員となって作った『懐かしの歌声喫茶名曲集』(英知出版)というCD付きの本が最近出版されたりで、歌声喫茶というと何かと話題が多い。
その本の制作時にスタッフと話し合ったのは、「歌声喫茶」を今振り返ってみることは単に“懐かしさ”を求めることだけではなくて、もっと別な
何かがあるのではないかということであった。
歌声喫茶が出現したのは昭和29(1954)年ごろからで、その後約20年間継続した。朝鮮動乱も収束し、高度成長期に突入していったころである。都会は労働力を求め、地方からの集団就職がはじまった。都会に出れば何とかなる、
就職にありつけるということが基礎になって働くことへの意欲、職場の連帯感、労働運動への期待、そして学生運動の高まり。これで世直しができるとは思わなかったが、人世を意気に感じる何かがあった。サイフは軽かったが精神的に
は今日の若者のような挫折感、無力感はなくて、もっと充実した日々だったと思う。
こうした背景を「歌」の歴史に重ねて見るのは楽しいことだ。あまり紹介されていない世間の動向を二、三たどってみよう。
昭和28(1953)年、日本初の民放テレビ(日本テレビ)が本放送を開始し、それまでは“聴く”歌手だったのが“見る”タレントになった。「歌のおばさん」ではなくて「歌のおねえさん」の時代になる。歌謡曲の世界でも青木洸一、藤島桓夫、小畑実、岡本敦郎など歌唱力一筋の「歌上手」にかわって、テレビ映りの良い「ご三家」のような若いタレントが登場してくる。「歌声喫茶から数々のヒット曲が誕生しました」という言い方も、ここのところを抑えておく必要がある。歌声喫茶の勃興期から隆盛期にかけては、歌謡界も大きく様変わりした時期でもあった。
レコード界も従来型の経営では成り立たなくなってきた。外国資本が入り込み、国内メーカーの離反統合が促進されるようになった。
歌声で心をハモらせたかった
ロシア民謡が愛好家によって熱心に迎えられたころでもあった。チャイコフスキーや5人組を輩出し音楽的にも先輩格のロシアは、また民謡の宝庫でもある。戦前シャリアピンの来日などで多くのロシア民謡が紹介されはしていたが、戦
後ソヴィエート映画が入ってくると事情が一変した。ことに音楽映画『シベリア物語』の影響が大きい。文化人といわれた左翼寄り、親ソ派の人々はもとより一般大衆も、ストーリーはどうでもよくて場面場面の音楽シーンを楽しんだ。当時の歌声喫茶経営者たちも、『シベリア物語』を開店の動機にあげている。
ちょうどそのころ、シベリアや中国に抑留されていた人たちが帰国してきた。ソ連抑留中に音楽舞踊の活動をしていたメンバーがはじめ「帰還者楽団」、のちに「音楽舞踊団カチューシャ」という名称で国内活動をはじめ、歌の紹介などに力を注いだ。また帰国者の中に日本一流の音楽家、ことにオーケストラのメンバーなどがいて、中でもチェリストの井上頼豊は関鑑子が指導する中央合唱団を助け、合唱指揮者北川剛は合唱団白樺を立ち上げてロシア音楽の普及をめざした。
当時、将来を嘱望されていた若手の音楽家、たとえば芥川也寸志、いずみたく、林光、間宮芳生らも歌声運動に興味を示した。
労働運動は経済闘争ばかりでなく総評を中心に平和をめざす運動を展開した。その中で労働者の連帯感と文化の向上がとりあげられ、歌声運動や創作活動が活発にすすめられた。また職場のフォークダンスなども盛んに推奨された。若い男女がおおっぴらにハモったり手をにぎったりできるこうした活動は、子ども時代を戦時中に迎えた世代にとっては魅力あふれるものであった。
また行政の中では「社会教育」という分野が注目されはじめ、中でもコーラスはあまり資金も要せず、またアマチュアが手っとり早く芸術に接することができるものとして大きく成長した。中田喜直、田三郎らが作品を提供、辻正行ら優れた合唱指揮者が誕生した。
こうした背景がダーク・ダックス、ボニー・ジャックス、スリー・グレイセス、ヴォーチェ・アンジェリカ、デューク・エイセス、フォー・コインズ、あるいはマヒナスターズ、ロス・プリモスなどのコーラスグループの出現の遠因となっているのである。
もちろんタレント自身の研鑽、作詞作曲家の才能、ディレクター、プロデューサー、レコード会社や音楽プロダクションの努力など「歌」の誕生には多くの要因はあるのだが、今「歌声喫茶」再現時代を迎えるにあたって、なぜ「山男の唄」だったのか、なぜ「山のロザリア」なのかと自問自答してみようではないか。こうした思考作業の中から今につながる大切なことを見出したいし、また当時の音を再現したCDの存在価値もあるというものだろう。もちろん自分自身が生きてきた価値も併せて評価しようではないか。 ▼ ほかの記事も読む
商品番号 |
040 185 |
価 格 |
¥3,990(税込) |
タイトル |
歌声喫茶愛唱歌曲集〜カチューシャ/山男の歌〜 |
曲 目 |
赤いサラファン/赤とんぼ/あざみの唄/アムール河のさざ波/一週間/泉のほとり/おおスザンナ/ 学生時代/カチューシャ/カリートカ/北上夜曲/今日の日はさようなら/銀色の道/コサックの子守唄 /この広い野原いっぱい/ゴンドラの唄/さくら貝の唄/里の秋/サンタ・ルチア/島原の子守唄/知床 旅情/白い想い出/ステンカ・ラージン/惜別の唄/草原情歌/ちいさい秋みつけた ( 他 全50曲) 島田祐子/倍賞千恵子/ロイヤル・ナイツ/森山良子/ボニー・ジャックス/小林 旭/芹 洋子/ダーク・ダックス |
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