白洲正子さんの声が聞こえる
赤瀬川原平
◆◆農家の屋根の端に見えた百人一首の時代の空気
都心に向う車の中で、白洲正子さんのCD『「願わくは‥・」、私の百人一首』を聴いた。ぼくはこの手の新しい電子道具の扱いが不得手だ。見兼ねて家内がいろいろして、小さなマッチ箱みたいな大きさのものに音を詰め替えてくれた。そのボタンをぷつんと押すと、白洲さんの声が流れてくる。さあこれから楽しい時間だ。こうなれば渋滞も平気だ。むしろ有難い。ぼくは運転席ではないから、白洲さんの話を聴きながら、ぼんやり窓の外の景色を眺めていられる。
町田の辺りは、とくに駅から離れて高速道路に向う辺りは、古い農家の地形が残る。もこもことした雑木の群が丘の上につづいて、その木々の間からちらりと古い屋根が見える。ふだんはとりわけ兄もしない和風のローカルな風景が、このCDの白洲さんの話を聴きながら眺めていると、じつに味わい深いものとして目に映る。百人一首の時代の空気が、そんな農家の屋根の端にだけ、ふんわりと引っかかっているのが見える。写真には写らないだろうが、CDからの話の光が、耳から脳を通って、ぼんやり見ている田舎の景色のところどころを照射して、はるかな時代から細く伸びている感覚を、ふわり、ふわりと見せてくれる。じつに気持のいい、時代を透過して遊泳する感覚で、外の風景を眺めていた。
でも残念ながら、ぼくはこの話に出てくる藤原定家や西行という人のことを、まるで知らない。名前だけは知っているが、何も読んだことがない。古典の知識に乏しいのだ。ただ人々が心を寄せる様子から、定家や西行という人たちの価値の重さだけは知っている。その漠然とした重さだけで、その中に何が詰まっているのか、その明細はぜんぜんわからない。
でもそれでも白洲さんの話は味わえる。話の流れに、一つ一つうなずける。知識のところは省略したままうなずけるのだ。
◆◆見えない垣根を越える柔軟で強い好奇心
そもそも自分は、白洲正子さんのこともぜんぜん知らなかった。名前だけは知っていて、綺麗な、何となく見事な名前だなど思っていた。きっかけは編集者からの突然の電話で、「正論」という雑誌で白洲正子さんと対談をしないかどいう。雑誌も人物も唐突だったが、何かその唐突さに魅力があった。何となく先を越されたような気がして、慌てて本屋へ行き、とにかく一冊ぐらいは目を通しておかなければと、著書を探した。とりあえず買ったのは、花の写真がたくさん載っている随筆集だったと思う。女性編集者の車が迎えに来て、鶴川のお家にうかがった。隣の駅だ。坂道を登ると大きな田舎の茅葺きの家があり、その前の古い木の門が印象に残る。さらにその門の手前に作業小屋があり、大工道具や木製の何かがごろごろしていた。亡くなった白洲次郎さんの使っていたものだと説明されたが、ぼくはそのこともさらに知らなかった。
家の中に入ると床が白いタイルで、古い革の異様にどっしりとしたソファが無雑作に置かれていた。白洲さんがにっこりと迎えて下さった。対談はたしか日本のお茶とか美意識のことについてで、はじめはどこかの偉い学者とやれといわれて、でもあたしはもうそんなお爺さんとは話したくないのよ、それだったらトマソンや路上観察のこの人と……、ということだったらしい。
話の糸口は、ぱくの書いた利休の本のことからだった。ぼくはほとんど何も知らないのに、白洲さんはこちらのやっていることや書いた本などを、ちらちらと見て下さっていた。いまさら恐縮してもしょうがないが、こういう、いらぬ垣根を越えてしまうのが白洲さんなのだと、だんだんわかってきた。
白洲さんの興味には、垣根がないのだ。引かれるものにすっと自分を運ぶことができる。柔らかいのと同時に、見えない垣根を突き抜ける強い破壊力を秘めている。そのときたしかトマソンや路上観察での、未知の感覚を拾い歩く面白さを話しているうちに、それは骨董ね、といわれた。
恥ずかしいことに、型通りのアヴァンギャルド青年が抜け切れていなかったぼくは、骨董という言葉を古くさいものの代名詞としか知らなかったので、驚いた。自分のいま一番の関心事であることが、骨董に重なるとは。
でもすぐに覚醒した。そうか、骨董とはアヴァンギャルドだったのか。それは世間的な言葉の裏側に隠れていることなのだ。
そのとき白洲さんは、どこか下町の、漁村だったか、貝か何かを茄で上げる使い古した爪の素晴らしさについて話していた。骨董店に並ぶお宝品と比べようもないもので、お婆さんに譲ってくれといったら、仕事で使っているから駄目だという。次に新しいのと買い換えたらあげるといわれて、約束してきたという。
同じだと思った。ぼくらも町の中を歩きながら、何でもない物の中から「凄い物」を拾い上げる。拾う道具はカメラだけど、見えない垣根の壊し方で重なっている。そうなのかど、一段と気持が近づいた。
◆◆白洲さんの話が導く神秘のベールの向う側
しばらくして、自伝的な文章の連載が「芸術新潮」ではじまった。その冒頭に祖父か曽祖父の話が出てくる。幕末から明治の薩摩の戦争で、軍の裏切者の首を、長であった祖父が一刀のもとに切り落す場面からはじまる。驚いた。もちろん血筋の元の方にある人物とその出来事なのだけれど、白洲さん自身が生きてきた中での覚悟のほどを示して、白洲正子という人物の強さが、一刀のもとにわかった。白洲さんの話の中では、神秘のベールの向うを、ちょっとかすめてくるような、そんな話がいちばん面白かった。花のことで、こちらがその花を見た目と見なかった日とで、花の生気が違ったという話など。見ることはかかわることなのだ。これは文章にも書かれていることだが、白洲次郎さんの臨終のとき、最期は息を吐くのではなく、吸って終る。やはり息を引き取るのだというその見え方に、こちらが息を飲む。次郎さんが亡くなって間もなく孔雀が庭に舞い込む。何日か庭で暮して、初七日だったか、悠然とどこかへ飛び去ったという話には、こちらもベールの向う側に行ってきたような気持になった。
白洲正子さんが亡くなって、何日か後に、家内がお葬式の夢を見た。みんなでその場のしつらえをしている中に、白洲さんもいて手伝っている。あれ? 亡くなったんではなかったんですかと訊くと、白洲さんは笑いながら、ちょっと死んだ真似しただけよ、といったそうだ。まるでぼくが見たかったような夢である。
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赤瀬川原平
芸術家、作家。1937年神奈川県生まれ。1960年代、「ネオ・タダイスム・オルガナイザース」「ハイレッド・センター」などのクループを結成して、前衛芸術の先駆的活動を行なう。他に画家イラストレーターとしても才能を発揮している。
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情報更新:2007/11/28