枝豆な日々―父のくれたもの
若菜弘志
今から二十一年前、三十五歳の夏、私はサラリーマン生活を辞めて、妻の実家のある信州の小さな村で帰農した。それは、都会の消費型生活とは違う、百姓仕事を軸とした新しい生産型の田舎暮らしを目指しての転身だった。以来、この小さな村(現在は合併して市)で試行錯誤を繰り返し、自らの思うような農的な暮らしを実現し、家族五人が生き延び、成長した子供たちはすでに自立し始めている。
こうした日常の作業は、もちろん生活上欠かせない家事仕事の一環なのだが、自分の栽培した食物を、最後まで面倒見るのが百姓としての望ましい姿であるという、私自身の百姓哲学に基づいた行為でもある。栽培したものは、食卓の一品として調理し、それを味わうことで初めてその作物としての価値が計れるとの日頃からの想いを、私は自身で料理をして確認しているわけだ。自立困難な小規模農業ゆえに、夫婦それぞれが別の仕事を抱えながら兼業農家として暮らしを営んでいるが、その基本には、いつも生産・加工・調理という農的営みがある。こうした私の習性について思い返してみると、農への転身も含めて、父から自然に学んだ「料理や家事をする男」という基本姿勢が大きく関係しているように思えてならない。
私の料理メニューには、父と同じものがいくつもある。それは、手のかかる大層な料理ではなく、簡単に作れてしかもとても美味い、というものばかりだ。その中の一品に枝豆ご飯というのがある。 これは何のことはない、旬の枝豆を茹でて、茹で上がったら、実だけをほぐし、これを軽く塩もみするか、若干の醤油をかけて、炊き立てのご飯のうえにたっぷりと乗せて食べるだけのものである。豆の量は多ければ多いほどよく、ご飯が見えないくらいがいい。料理というにはあまりにシンプルすぎるが、この美味さは絶品としか言いようのないものだ。夏の暑さが食欲を減退させる季節には、この枝豆ご飯の威力は絶大である。薄緑色の鮮やかな枝豆が食欲を刺激すること請け合いで、これに旬のキュウリやナスの糠漬でもあれば言うことはない。ご飯を多めに炊き、枝豆たっぷりの握り飯を作っておくと、最高の小昼や夜食にもなる。
こうして、この地で帰農して以来二十一年、私は野良と台所を直結させながら、父親仕込みのシンプルでありながら十分美味しい食生活を心がけてきた。そのせいか成人病に掛かることもなく、また太りも痩せもせず、野良仕事を楽しみながら、しかも食べることも楽しむという極めて快適な農的人生を営んでいる。
遠い昔に亡くなって、今ではその顔を思い出すのも困難になっているというのに、幼心に刻印された父の姿やその好みが、今なお私の中で甦り、私の人生とずいぶんと重なるものがあるのを知るにつけ、それは父が私に残してくれた貴重な贈り物だったのだと思わずにはいられない。この猛暑の夏も、私は枝豆な日々を楽しみながら、極めて健やかに過ごしている。
こうした日常の作業は、もちろん生活上欠かせない家事仕事の一環なのだが、自分の栽培した食物を、最後まで面倒見るのが百姓としての望ましい姿であるという、私自身の百姓哲学に基づいた行為でもある。栽培したものは、食卓の一品として調理し、それを味わうことで初めてその作物としての価値が計れるとの日頃からの想いを、私は自身で料理をして確認しているわけだ。自立困難な小規模農業ゆえに、夫婦それぞれが別の仕事を抱えながら兼業農家として暮らしを営んでいるが、その基本には、いつも生産・加工・調理という農的営みがある。こうした私の習性について思い返してみると、農への転身も含めて、父から自然に学んだ「料理や家事をする男」という基本姿勢が大きく関係しているように思えてならない。
私の料理メニューには、父と同じものがいくつもある。それは、手のかかる大層な料理ではなく、簡単に作れてしかもとても美味い、というものばかりだ。その中の一品に枝豆ご飯というのがある。 これは何のことはない、旬の枝豆を茹でて、茹で上がったら、実だけをほぐし、これを軽く塩もみするか、若干の醤油をかけて、炊き立てのご飯のうえにたっぷりと乗せて食べるだけのものである。豆の量は多ければ多いほどよく、ご飯が見えないくらいがいい。料理というにはあまりにシンプルすぎるが、この美味さは絶品としか言いようのないものだ。夏の暑さが食欲を減退させる季節には、この枝豆ご飯の威力は絶大である。薄緑色の鮮やかな枝豆が食欲を刺激すること請け合いで、これに旬のキュウリやナスの糠漬でもあれば言うことはない。ご飯を多めに炊き、枝豆たっぷりの握り飯を作っておくと、最高の小昼や夜食にもなる。
こうして、この地で帰農して以来二十一年、私は野良と台所を直結させながら、父親仕込みのシンプルでありながら十分美味しい食生活を心がけてきた。そのせいか成人病に掛かることもなく、また太りも痩せもせず、野良仕事を楽しみながら、しかも食べることも楽しむという極めて快適な農的人生を営んでいる。
遠い昔に亡くなって、今ではその顔を思い出すのも困難になっているというのに、幼心に刻印された父の姿やその好みが、今なお私の中で甦り、私の人生とずいぶんと重なるものがあるのを知るにつけ、それは父が私に残してくれた貴重な贈り物だったのだと思わずにはいられない。この猛暑の夏も、私は枝豆な日々を楽しみながら、極めて健やかに過ごしている。
若菜弘志
1951年北海道小樽市生まれ。信州大学人文学部を卒業後、サラリーマン生活を経て、1986年より信州の僻村で田舎暮らしを始める。以後、米や野菜を作りながら創作活動に励む。同人誌を主宰し、ノンフィクション、フィクションの両分野で表現活動を展開中。新風舎コンテストで、「帰農」「裏通りの華たち」が優秀賞を受賞。
▼ このコーナーでは、あなたの「田舎暮らし体験記」を募集しています。
情報更新:2007/10/31