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愛媛・南予の旅を終えて

竹村明子

 ツアーへの参加が決まってから2週間たった11月30日、出発の朝が来た。
 我が家から羽田までは電車で2時間近く、途中乗り換えの不備などもあり、母を伴ってのドタバタの旅の始まりであった。曇り空からぽつぽつと雨が降り始めた頃、定刻を少し遅れて羽田を出発。上空は好天、途中の京都付近では真っ赤に染まった山々が望めた。

 快適な空の旅を終え、松山空港に到着したとたん、大勢のお出迎え、テレビカメラもなんと2台も!後で聞いた話だが、この体験ツアーは全日空と愛媛県観光協会の提携で行われツアー開催のたび愛媛県では地域ニュースとして放送されるのだそうだ。私たちツアー一向はこの先3日間、俄かスター気分を味わうこととなる。空港やバスでいろいろな方の挨拶、説明、パンフレットの配布、新聞社の取材など、びっくりしている間にバスは西予市へ。「どんぶり館」というところで昼食。特産の「じゃこ天」が乗ったうどん定食。じゃこ天はこの度、農水省が発表した郷土料理100選に、愛媛県では後出の「鯛めし」と並んで選ばれている。昨年亡くなった父が松山出身の為、私はある程度愛媛県について基礎知識はあったのでもともと好物だ。関西風のだしとじゃこ天の話でしばし盛り上がる。こちらは物産店もかねていて、青空市場のようだ。移住で農業を選ぶ方のための説明なども聞く。

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 その後は「開明学校」へ。ちょうど道路の舗装工事で町並みの散策が出来なかったのは残念だったが、明治時代の小学校の授業を体験する。小さい木の机と椅子、ちょっとどきどきする。明治の建物がきれいに保存され、また、当時の資料もたくさん展示されていて、ツアー最年長参加者の母は教育勅語や御真影など、古い知識を発揮していた。隣接の民具館を見た後、続いて古民家再生ギャラリーへ。四国電力主催でオール電化になっている。建物は古くても快適に暮らせそうだ。築30年の我が家よりよほど暮らしやすいだろう。次は米博物館。昔の小学校を移築し農具などを展示してあるのだが、有名なのは長い廊下の雑巾レース。旅を通じてのアイドル、小学3年生の南ちゃんが挑戦、1分を切るタイムでゴール!その後、移動のバス中、おやつに明浜みかんを頂戴する。翌日のみかん狩りが楽しみだ。お遍路のお寺の一つ、明石寺に着く頃には大分日も陰り、冷えてくる。とはいえ東京近郊よりはかなり暖かい。一枚薄着でちょうど良いくらいだ。
 明石寺ではご住職に由来など説明を受けたが、一番印象に残ったのはイチョウの木には雌雄があり、片方だけでは銀杏がならないとのお話。葉に切込みがあるのが雌だそうだ。幸運にもちょうど紅葉も見ごろであり、ここだけでなく旅を通じて楽しませてもらった。
一日目の日程を終え、宿泊地の宝泉坊へ。楽しみにしていたお風呂だが、あまり時間がなく夕食後にする。地域住民との交流会との事だったが、参加してくれたのは翌日見学予定のシルク博物館に研修中の方々で、養蚕についての基礎知識や、愛媛県での生活などいろいろなお話を聞く。他には西予市観光課のイケメン(?)三人組、旅行を通じてお世話になった県観光課の大岩さん、全日空の今本さん。あわただしく過ごした一日のあと、ゆっくりお話が出来て打ち解けることが出来た。料理はおなべ、サラダ、オードブル、お刺身、フルーツなど山盛りで超満腹、飲み物もたくさん、宴もたけなわだったがお風呂の時間も有り、失礼する。遠目で露天風呂かと思っていたところは温水プールで、こちらはクアハウスとして営業しており、県営の施設なのだそうだ。一泊3000〜3500円。なんと安い!時間ぎりぎりまでゆっくり入り、程よい疲れとともに心地よい眠りに着いた。

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 二日目、やはり天気にも恵まれ、アメリカンブレックファストのあと、前日は使えないといわれていた家族風呂が使えるということでしっかり朝風呂に入る。出発してまず最初に訪れたのは「ギャラリー白川」。かまぼこ板の絵展覧会を見る。ガイドさんの説明はあったけど見るまではぴんと来なかったが、なんと芸術作品ばかりであることか。庭の景色も大変きれいであった。次はシルク博物館。前日のお話も有り、実際見るのを楽しみにしていた。まずは展示された布の説明の後、繭の保存庫を見た後、糸を作る現場、染色、織機と進んでいく。日本各地に絹の名産地はあったようだが、繭から布までを通して、というところは日本にここだけということだ。昔からの伝統を残す意味で無形文化としても保存しようという目的もあるとの事。機を織るところぐらいはドラマで見たことがあるが、後はまったく初めてで珍しかった。またバスに乗り込み、段々畑と美しい海に見とれているうちにみかん狩り現場に到着。美味しいみかんの見分け方を習う。日の当たる場所の先端に、長い枝の先に単独で生っていてなおかつ実が小さいもの(甘みが凝縮される)、が美味しいのだそうだ。味見しつつ籠いっぱいに夢中で取った。母の分も合わせて、家に帰ってから後でいただいたもの、毎食必ず付くので食べきれず持ち帰ったもの、などを測ってみたら、全部でなんと8キロ分も!これまでは愛媛みかんというブランドしか知らなかったが、「明浜みかん」はあの暖かい段々畑とともに一生記憶に残るだろう。ポンジュースとともに生産地を確認するに違いない。

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 汗をかいたにもかかわらず、みかんでお腹が少し膨れてしまったけれど、楽しみにしていた昼食の郷土料理「日向めし」のため、「はま湯」へ。前もって説明はされていたのだが、簡単に言えばお刺身に卵かけご飯、である。100選に入った「鯛めし」とどう違うかというと、ガイドさんによると鯛めしは鯛だけ、に日向めしは鯛のほかはまちなど(南予地方は養殖が盛んだそうだ)で、お味噌汁やお雑煮のように各家庭の味がある料理なのだそうだ。すごく美味で、お腹がいっぱいにもかかわらずお櫃のご飯は全部平らげてしまった。食後は少しでもお腹がこなれるよう、時間いっぱいかけて塩湯に入る。海を眺めながらの露天、他にジェットバスやサウナなど、こちらのお風呂も楽しめた。ハワイのようなという話だったが本当にきれいな海で、全員で記念撮影。ここで西予市三銃士とはお別れ、宇和島市の観光課の方とバトンタッチ。私の印象では西予市はほんとに移住には力を入れていて、サポート体制も随分整っているように思えた。

 宇和島市はまず三間地区へ向かう。西予市もそうだったが、宇和島市も先の市町村合併で生まれた新しい市であり、三間地区は三間町であったところだそうだ。道の駅である「コスモス館」で版画体験をする。ここは版画家・畦地梅太郎と井関農機の創設者・井関邦三郎の記念館が入っている。版画は小学校の工作を思い出させられて楽しかった。作品とともに小さい額縁も頂戴する。このときの作品はちゃんと私の部屋に飾られることとなった。母の作品はキッチンの戸棚の上にある。そのあと、イルミネーションの点灯式を見る。琴の演奏や子供達のダンスなどのあと、カウントダウンの後、いっせいに明かりが付く。前年、恵比寿ガーデンプレイスより順位が上だったとの事だったが、広い公園じゅうについた明かりは見事だった。確かにガーデンプレイスよりすごい!実行された方々の熱意と郷土愛を感じた瞬間だった。さて、二日目も宿泊と夕食の日程を残すのみで旧庄屋・毛利家へ到着する。月が出ていないのと回りが暗いせいもあるが、満天の降るような星空が素晴らしかった。

 この日の宿泊は毛利家にはツアー参加者全員は無理なので市の施設とここと別れて宿泊することになっていて、私たち親子はこの毛利家宿泊だったのだが、着いてみての感想は「寒い!」だった。こちらは築250年以上の庄屋跡で、地元の有志の方々がボランティアで保存されているそうだ。その叔父様達の振る舞いの「しし鍋」を、大きい囲炉裏を囲んで戴く。しし鍋って何?だったけど、いのししの鍋で、朝から煮込まれていたそうで、それも誰かが獲ったものらしい!しかし、くさみもなく、お腹いっぱい戴く。(お腹いっぱい食べてばかり・・)お餅やらお芋やらを囲炉裏で焼いてもらいつつ、昔話を聞き、不便な場所で育った母は田舎を思い出すのか叔父様たちと話が弾んでいた。名残惜しかったが駅の上にあるお風呂に連れて行ってもらう時間があり、いったんお開きに。お風呂はこちらも充実していて、一日三回別のお風呂に入れるなんてなんて贅沢!毛利家に戻り宿泊メンバーとまたしばらく歓談。間違えて火事でも出したら250年の歴史が・・などと思ったが、囲炉裏も保存会のメンバーがいないと焚けないことになっているそうで、皆さんがお帰りになるため囲炉裏を消したとたん冷気が・・・寒さでなかなか寝付かれなかった。

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 3日目、とうとう最終日。起きたらもう囲炉裏が焚かれていた。正直寒さで軽く風邪を引いたようで、この後ごまかしごまかし過ごしたものの1週間後にひどくなり、その後もう1週間寝込むこととなる・・この旅唯一の失敗であった。バスが迎えに来て他のメンバーと合流、前日のコスモス館で朝食。和食バイキングだったがご飯(白米)が美味しかった。またおかわりしてしまった・・・ここで三間地区の方々とはお別れ。取れたてのイチゴや自家製のきな粉、など戴く。旅を通じて、お菓子の差し入れなどもたくさんあり、その心使いが嬉しかった。ここで最後のコース、宇和島市内へ。思っていたより大きな町で驚く。マンションや高いビルなどもあり、市内の利便性などを回りながら説明を受ける。特にびっくりしたのは病院通り。脳外科の医院など、初めて見た。総合病院にあるものだとばかり・・・移住に際して医療機関の問い合わせは多いのだそうだ。確かにこの近くなら安心だろう。比べては失礼なのかもしれないが、西予市の誘致の熱心さに比べると、逆に宇和島市は問い合わせに対応するのが精一杯というのが現状だそうだ。担当の方のお話にそのジレンマが垣間見えた気がした。私の勘繰り過ぎだろうか?

 市内を一巡りの後、宇和島城へ。坂道ということも有り、母は途中まで車で上がったが、時間をかければ母も大丈夫だったように思う。子ぶりながらも美しいお城だった。またここで記念撮影。少しまたバスで移動し、今度は木屋旅館へ。現在は残念ながら営業していないそうだが、明治創業の旅館だそうだ。お茶とお菓子を頂き、宇和島ゆかりの文豪のお話を聞く。その後、駅前の商店街を散策。広い商店街でびっくり。日曜でお休みのお店が多かったのは残念。前出のじゃこ天は宇和島の名産だそうで、専門店も見受けられた。それから商店街を外れて最後の食事。本当は鯛めしの予定だったそうなのだが、前日の昼食が日向飯だったこともあり、「さつま」という焼いた魚の身と麦味噌仕立てのだし汁をかけたものとなったそうだ。これもとても美味しく、また完食。そしてこれが最後の観光である「真珠会館」で、真珠の加工体験。これは私が一番楽しみにしていたものだ。私が携帯ストラップのキットを選んだため、母は追加料金を払ってブレスレットを。これがストラップの三倍ほどの長さがあり、かなり細かい作業の為、私でも大変だったのが母はとても時間がかかり大変なことに。

 でもまあ無事に全日程を終え、宇和島市の方々とここでお別れし、一路松山空港へ向かうことに。ずっと行動をともにしたメンバー、お世話になったスタッフのお二人にバスのガイドさんと運転手さん、とても淋しく名残惜しかったが、松山空港で解散となり、この旅は終了。飛行機も順調で何事も帰れるはずが、羽田からの電車を乗り間違え、おまけに乗換駅の改札で荷物を倒してみかんをばら撒き大騒ぎ、とういう落ちが最後につくのだが、スタッフの方々の心尽くしが素晴らしく、まさに至れり尽くせりの本当に楽しい旅であった。最後に移住についてだが、今回のツアーは体験という意味では本当に有意義だった。もちろん本当に移住を実行に移すとなると、かなりの決心と労力が必要であろう。このあと1週間、何ヶ月間と段階を踏んで体験できる企画がすでに準備されているし、バックアップ体制も整っている。今回お世話になったスタッフの方々も、旅先で会った南予の方々も、良い方ばかりだった。私個人としては移住するなら寒いところよりこの暖かい南予の地はとても魅力があると思った。これから先のことはまた時間をかけて考えて行きたいと思う。 本当にいい体験をする機会を与えていただいて感謝です。本当に有難うございました。


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著者:竹村明子
2007年11月に行われた、ANA・愛媛県共催のふるさと探しツアー。「11月30日出発の愛媛県 西予・宇和島コース」に「いきいきネット」から応募参加しました。この紀行文はそのときのツアーの様子を記録したものです。


このコーナーでは、あなたの「田舎暮らし体験記」を募集しています。



情報更新:2008/01/25

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