芭蕉の足跡を辿って自ら何度も旅をした
嵐山光三郎氏による「奥の細道」“温泉”紀行
立松 和平 |
嵐山光三郎氏、芭蕉にもの申す
『芭蕉「奥の細道」の行程には、名だたる温泉がたくさんある。那須温泉では黒羽の城代さし向けの馬に乗り、馬の口取りの馬子に短冊を求められ、芭蕉は心やさしいことを望むものだと感心して一句を書きつけている。 「野を横に馬引き向けよほととぎす」広大な那須の山を歩いている馬の姿と、馬の首をそちらに向かせるほどに鳴くほととぎすと、映画のようなシーンである。殺生石は温泉の湧き出る山陰にある。毒気のために、蜂や蝶が地面の砂の色も見えないほど重なりあって死んでいる。しかし、芭蕉は通り過ぎていってしまい、田んぼの中に立つ西行法師ゆかりの遊行柳にいく。殺生石の乾いた熱と、田んぼの冷んやりとした水と、対照的な情景である。 「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」
いずれ名句であるが、温泉通の嵐山光三郎氏とすれば、殺生石のそばにある那須湯本温泉の鹿の湯について、言及しなければ気がすまない。白濁した硫黄泉は熱くて、幾つかある湯舟は時折水をまぜて温度を違えてある。この温泉は朝のうちにはいると最高だと、嵐山氏は語る。私もそう思う。私は嵐山氏が天然の恵みに対して目配りの足りない芭蕉に、お説教をしているようにも感じた。もちろん芭蕉は快楽のために「奥の細道」の旅をしているのではない。旅の 中に捨身行脚し、蕉風の俳譜をつかもうと、苦行の旅を志したのである。そうではあるのだが、そこに温泉があるのだから、気持ちをゆるやかにしてもっと楽しんだらどうかと、もちろん控え目にではあるが嵐山氏は芭蕉に呼びかけている。現代の私たちへの呼びかけなのであろう。
温泉好きの嵐山氏ならではの 興味深い語り
飯坂温泉を、芭蕉はさんざんに悪く書いている。古い言葉で「飯塚」と呼んでいるその部分を、口語訳してみよう。 「その夜、飯塚に泊まる。温泉があるので、湯にはいってから宿を借りたところ、土間に錘を敷いた、あやしいほどに粗末な貧家であった。燈火もないので、囲炉裏の火を明かりにして寝所をつくり伏して眠った。夜になって雷が鳴り、雨がしきりに降り寝ているところに漏ってきて、蚤や蚊に刺されて眠れなかった。持病さえおこって、失神するばかりになった」 まったくさんざんだが、「曾良随行日記」では「飯坂ト云所有、湯有」とだけ、素気なく書かれている。感情が込められていないところを見れば、芭蕉が書いているようにひどいめにあっているとも思えない。「奥の細道」の記述は、芭蕉のフィクションであると考えられる。 もちろん温泉好きの嵐山氏としては、黙っていられない。これでは飯坂温泉が浮かばれないではないかとばかり、温泉のよさを語りだす。芭蕉に足りないのは、温泉を楽しむ感性である。嵐山光三郎氏の語りを一番聞かせたいのは、芭蕉その人である。 ▼ ほかの記事も読む
講師:立松和平
作家。1947年栃木県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。宇都宮市役所に勤務の後、79年から文筆活動に専念。近著に小説『奇蹟─風聞・天草四郎』(東京書籍)などがある。
商品番号 |
070 203 |
価 格 |
¥2,310(税込) |
タイトル |
芭蕉翁、夢は枯野をかけ廻る |
講 師 |
嵐山光三郎 |
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