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先人の足跡を辿る『おくのほそ道』
ついに迎える旅立ちのとき

中野沙恵

芭蕉を陸奥へと誘った義経と西行への想い

写真カバー  『おくのほそ道』の旅は、六百里、約二千四百キロに及びます。その長い旅の中から、今回は「旅立ち」と草加までの「第一夜」とを取りあげます。.「旅立ち」の章は、豊かな古典の世界がその背景にある、ということがポイントの一つでしょう。たとえば、『源氏物語』の帯木の巻や須磨の巻、芭蕉が敬慕してやまなかった西行の和歌、近世の文人として尊敬されていた木下長癖子の『挙自集』の「山家記」、あるいは中世の『東関紀行』などを踏まえています。そうした古典が下敷きになっているとわかれば、この章も一層味わいが深くなることでしょう。
 また「第一夜」には「ことし元禄二とせにや」という文言があります。なぜ、芭蕉は元禄二年(1689)にこの大旅行に出たのでしょうか。それは芭蕉が源義経と西行に対してとりわけ深い思いを持っていたことに関わっています。義経は五百年前の文治五年(1189)奥州平泉で自刃しました。その翌年に西行が河内国弘川寺で客死しています。
 元禄二年という年は、義経没後五百年であり、また西行の五百年忌という記念すべき年だったのです。その特別な年に、二人に所縁の深い陸奥を実際に訪ねることは、芭蕉にとっては大きな意味を持つことになったのです。
 「旅立ち」の章で出発にあたって、
行く春や鳥噂き魚の目は涙
と旬を詠みました。が、実はこの旬は旅立ちの時ではなく、数年後に『おくのほそ道』の本文を推敲しているときに新たに詠まれ差しかえた旬なのです。それは、この紀行の最後に、
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
の旬がすえられており、「行く春」と「行く秋」で呼応させようとしたからでした。同様に、深川からまず舟に乗って出発しますが、これも旅の終点の大垣で、「伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて」とあって、舟に乗るという形での呼応がみられます。作品全体に構成が考えられています。

同行の曾良が残した『旅日記』との比較

 芭蕉は、しばしば「泣く」「涙」といった言葉を使いました。この『おくのほそ道』にも六カ所に使われています。「働巽の詩人」芭蕉は、一方で、この世を「幻の巷」とみています。幻のようにはかないこの世、と知りつつ見送りの弟子たちとの別れを悲しむ、そこに芭蕉の人間性がみてとれるところも、魅力のひとつでしょう。
 芭蕉が「行脚」の姿勢で臨んだこの旅で、同行した曾良は丁寧に日記をつけていました。その曾良の『旅日記』からわかってくる旅の真実と、芭蕉が『おくのほそ道』に書きあげた文学とを比べて、文学性についても考えていただければ、と思います。


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中野沙恵(なかのさえ)
聖徳大学教授。1943年、東京都生まれ。東京教育大学助手、東京女子医科大学講師、秋草学園短期大学助教授を経て、現在、聖徳大学教授。NHKラジオ第二「古典講読」で「おくのほそ道」を全講。またNHK教育育テレビ「古典への招待」で「俳句」の講師を務めた。著書に『氷柱の鉾』(永田書房)、共編著書に『新編芭蕉大成』(三省堂)、『芭蕉ハンドブック』(三省堂)などがある。

商品番号078242
価 格¥3,675(税込)
タイトル松尾芭蕉「おくのほそ道(2)」 旅立ち・第一夜
講 師中野沙惠/和田篤

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情報更新:2007/11/03

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