私は『門』を、まだ独身の二十代の頃に読んだ。そしてこの小説の中にある甘美な味わいに、憧れるような心境になった。
自分たちの犯した罪によって、社会の外で生きている夫婦の物語である。貧乏だし、病気がちだし、弟を引きとって大学へやらなければいけないという悩みも抱えている。なんだか冬の寒さばかりが続くような救いのない話である。なのに、うらやましいような気がしたのだ。
なぜなら、宗助とお米よねは、世間から爪はじきされて、暗くて寒い世界に二人だけで生きているからである。こんな孤独な夫婦はいないという気もするが、だからこそ、こんなにもひとつにつながった夫婦もあるまい、と思えるのだ。二人が何気ない日常会話を交す。あんまりはずまない会話だ。「本当に有難いわね。ようやくの事春になって」「うん、しかしまたじき冬になるよ」こんな会話に、ここには二人だけがいる、というぬくもりがあるのだ。彼らにはただ互いしかいないのである。
二人は罪を犯して地獄に落ちている。しかしその地獄は、永久に二人だけが愛しあっていくという、天国でもあるのだ。そんな気がして、こんなにうらやましい夫婦があるだろうか、という感想を抱いた。結ばれて以来6年もたつのに、二人は互いに相手なしでは生きていけないのである。「世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪えかねて、抱き合って暖を取るような具合に、お互同志を頼りとして暮らして」いるのだと、作中に書かれている。それはなんと幸せな関係だろうかと、二十代の私はため息をついたのだった。
谷崎潤一郎は「『門』を評す」という短文の中で、「いろいろの方面から見て、『門』は『それから』に劣っていると言わねばなるまい」と書いている。「僕はかえすがえすも『それから』によって提供された大きな問題が、『門』において、なまじいな解決を与えられた事を残念に思う」とも。
ところが一方では「宗助とお米とは我々から見るとはるかに幸福なうらやましい身の上と言わなければならぬ」ということも書くのだ。
谷崎がこの夫婦をうらやましがらないはずがないと思う。愛のためには自分の目を傷つけて視力を失い、そして男と女が二人だけで生きていくという『春琴抄』を書いた作家なのだから。
そういうわけで、『門』は苦脳の物語であると同時に、至上の愛の物語である。だからこそ、どんなに貧乏していようが、読んでいて心地いいのだ。
そして読者としては、ふと、こんなことを気にしてしまう。それにしても、他人の愛する女性を奪う男の小説を続けて2つも書くとは、もしや漱石にもそんな願望というか、夢想があったのだろうか。だとしたら小説の中でその夢をかなえてしまい、見事なものではないか。
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筆者:清水義範
1947年名古屋市生まれ。愛知教育大学国語科 卒業。81年「昭和御前試合」で文壇デビュー。86 年「蕎麦ときしめん」で前例のないパスティーシュ (様式模写)の分野を開拓し、注目を浴びる。88年 「国語入試問題必勝法」で第9回吉川英治文学 新人賞受賞。「永遠のジャック&ベティ」「金鯱の夢」 「おもしろくても理科」など著書多数。
商品番号 |
070608 |
価 格 |
\5,460(税込) |
タイトル |
夏目漱石/門(下) |
朗 読 |
久米明 |
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