いきいきネット

いきいきネットは中高年の応援サイト

三田誠広/碧玉の女帝、推古天皇と
日出ずる国の聖徳太子の物語

高橋千劒破

“聖徳太子実在”の観点からその偉業、古代の謎が語られる

 聖徳太子は古代日本最大の、というより日本史上最もよく知られた偉人の一人である。冠位十二階を定め、十七条憲法をつくり、三経義疏を著わしたとされる。近代以降つい近年まで、最高額の紙幣の顔は常に聖徳太子の肖像であった。
画像  だが太子の実像に関しては、ほとんどわかっていない。太子の事績を記す『日本書紀』は、太子没後百年を経て成立したものであり、さまざまな逸話や伝説は、すべてその後につくられたものだ。近年、聖徳太子は実在しなかったという説が出されて話題になった。
 架空の人物説はともあれ、確かに聖徳太子には謎が多い。なぜ天皇になれなかったのか、あるいはならなかったのか。太子の事績とされる事柄は史実なのか、虚構なのか。死をめぐる数々の疑問。その後の太子一族滅亡の謎等々。
 推古天皇を描いた『碧玉の女帝』の著者で作家の三田誠広さんは、太子を、古代国家の基礎を築いた重要な実在の人物としてとらえ、その謎多き生涯を推古女帝とからめて、わかりやすく説く。

太子は有力な天皇候補でありながら一族ともども滅ぼされた

 三田さんはまず、聖徳太子にいたる古代天皇家の系譜と古代豪族の関係について語る。太子の父用明天皇は、欽明天皇の皇子で母は蘇我稲目の娘。推古天皇も同様である。すなわち推古は太子の父方のおばに当たる。太子の母穴穂部聞入も欽明と稲目の娘との間に生まれた。ただしこの稲目の娘は用明の母と同一人物ではなく姉妹である。ちなみに推古は敏達天皇の皇后であり、敏達の父も欽明だ。ともあれ太子は王統の有力な血筋であると同時に、蘇我氏の血を色濃く受けた人物であった。
 欽明朝に至るまで、物部氏と中臣氏、そして蘇我氏という有力な古代豪族が天皇家を支えた。だが仏教の伝来と受容に伴い、蘇我氏と物部氏が争い、勝った蘇我氏が古代朝廷最大の実力者となった。太子の有力なバックボーンであり、太子は有力な天皇補となり、推古女帝を支えていく。しかし太子は天皇にはならなかった。それどころか、太子の死後、山背大兄王をはじめ、太子の子供たちや一族はことごとく蘇我氏によって滅ぼされた。なぜか。
 三田さんは、太子は仏教の教えこそが国に平和をもたらすという信念のもと、武力ではなく宗教の力で国を治めようとしたと述べる。「和をもって貴しとする」は、その強い信念の表れだと。また仏教と神道との融合をはかったのも聖徳太子で、傑出した偉人であったと評価する。本CDには、まだまだ興味深い話が収録されている。


これまでの記事も読む


高橋千劒破(たかはしちはや)
文芸評論家、作家。1943年、東京生まれ。立教大学文学部卒業。「歴史読本」編集長を経て、執筆活動に。2001年、『花鳥風月の日本史』で大衆文学研究賞受賞。著書に『歴史を動かした女たち』『名山の日本史』『江戸の旅人』など。

商品番号074 722
価 格\2,310(税込)
タイトル碧玉の女帝、推古天皇と日出ずる国の聖徳太子の物語
講 師三田誠広

The CD Club Online ここに掲載したコンテンツは、株式会社ソニー・ミュージックダイレクトから使用許諾を受けたもので、著作権は、株式会社ソニー・ミュージックダイレクトに帰属しています。Copyright (C) 2005 Sony Music Direct(JAPAN)Inc. All Rights Reserved.


情報更新:2007/10/31

s